週末はルクセンブルクで
日曜日は恒例の週末旅です。
今回は、国土が神奈川県ほどの広さしかない国、ルクセンブルクの首都ルクセンブルク市を訪ねます。
パリから空路なら1時間、TGVなら2時間あまり。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2016年10月15日に放送)(▸をクリックしても映像が出て来ない場合はウィンドウの下の文字をクリック)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
自転車に乗ってリポーターの登場です。
「ルクセンブルグ市は銀行と大学の街です。ここでは6万人のフランス人が働いています。では、これから街を見て回りましょう!」
ルクセンブルク市の人口は約115,000人。中心には、大公の住まいである大公宮(Palais Grand-Ducal)(上記地図の青印)があります。
そして丘の上からは、有名な建築家が設計した近代的な高層ビルが街を見下ろしています。
この一角にあるのが2006年に開館したルクセンブルク・ジャン大公現代美術館(Musée d’art moderne Grand-Duc Jean)(略してMudam)(赤印)です。
パリで言えば、ポンピドゥセンターのような美術館だそうです。
開館から10年を記念して、現在最も注目されているアーティストの一人、ベルギーのWim Delvoyeの作品を展示しています。
「彼は現代使われている様々な物を、それぞれ違った角度から見せてくれます」と館長さん。
次は歴史を感じさせる界隈に行ってみましょう。
リポーターさんの乗る自転車は電動アシスト付き。坂の多いルクセンブルクには電動アシストが欠かせないそうです。
ルクセンブルクは12世紀頃から谷沿いの崖の上で大きく発展してきました。そして欧州の軍事的要所としてなくてはならない存在になりました。
なんと18世紀にはオーストリア人が戦争に備えて、崖の岩に穴を掘って迷路を作ってしまったそうです。(Casemates du Bock)(黄印)
「このような地下通路は23キロにわたって作られていました。17キロが今も残っています」とガイドの方。
第二次世界大戦の時には、1,200人の兵士と45,000人の市民がこの地下に避難していたそうです。
「この街に暮らす人たちの国籍は160カ国にも及びます。ルクセンブルク市民は全人口の30%ほどなんです」
因みにルクセンブルク市民の次に多いのがポルトガル人だとか。人口の20%ほど。
と言うわけでお昼を食べにやってきたのはポルトガル料理のレストランRestaurant LISBOA II。(オレンジ印)
1930年代にオーナーの祖父母が工場で働くためにこの街にやってきました。その後カフェをオープンさせ、両親がその後を継ぎ、現在はレストランとして経営を続けています。
「私はポルトガル人ですよ。ルクセンブルクで幸せに暮らしていますが、生粋のポルトガル人なんですよ」とオーナー。
出てきたのはポルトガルの伝統料理。美味しそうですね。カメラマンさんもカメラを置いてお昼をいただきます。
そろそろ今夜の宿に向かいましょう。
ルクセンブルクでホテルに泊まるとなると安くはありません。リーズナブルな費用で旅するというのが当番組のモットー。
となると今夜の宿は・・・ユースホステル。(こげ茶にベッドのマーク)
お部屋はちょっと狭いですが、小ぎれいで居心地は良さそうです。しかもこのロケーション。谷間に広がる街がすぐそばにあります。
次は、ちょっと変わった場所を2つ訪ねてみましょう。
ここはスケート・パーク。(緑印)この施設を作ってもらうために皆さん2年ほど運動を続けたそうです。
その甲斐あって、200万ユーロの予算が許され、3500㎡ものスケートパークが完成しました。欧州でもその名を知られるようになり、今日はテレビ局の取材が行われていました。
さて、もう一つの変わった場所というのが、扇形庫(機関車の格納庫)。今では劇場や展示会場として生まれ変わりました。
この日は20ユーロほどでロックグループの演奏が楽しめました。
最後は古い建物を利用して造られたバーで一杯飲んでから宿に戻りましょう。
さて今回の費用は、美術館が7ユーロ、地下迷路は4ユーロ、ランチが26ユーロ、宿泊代が37ユーロ、扇形庫でのコンサートが20ユーロ、レンタサイクルが37ユーロで、締めて131ユーロ(約15,000円)でした。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、友人と現代音楽の演奏会に行った。ぞっとするような音楽で、他のどんな音楽とも違っていた。それで私たちはこそこそひどいことを言いながらふざけあっていた。すると演奏会の最後になって、後ろの席に座っていた男性が立ち上がりステージに上がっていった。なんとその音楽の作曲者だった」
VDM (Vie de merde)より
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