ナポレオンとセントヘレナ島 vol.2
1815年7月、ワーテルローの戦いに破れたナポレオンは皇帝の座を手放し、フランス西部のビスケー湾にあるエクス島で、自らが建てた“司令官の家”でフランス最後の7日間をすごしました。
ナポレオンはここからアメリカに渡ろうと考えていましたが、当時、海上封鎖していた英国艦隊を突破することはできず、自分の政治生命が終わってしまったことを悟ります。
そして、英国あてに降伏状をしたため、英国の戦艦ベレロフォンに投降します。
ベレロフォンはナポレオンを乗せ英国へと向かいますが、上陸を許されず、最後はセントヘレナ島へ送られてしまいます。
こうしてやってきたセントヘレナ島。ナポレオンはどんな暮らしをしていたのでしょう?
シリーズの二回目はその屋敷を訪ねます。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年3月18日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
敷地に入ると、フランス領事のミッシェルさんが迎えてくれました。
なにしろここはフランスの領土。当然ながら領事がいます。
ミッシェルさんは1997年からここで領事を務めています。その任務の一つが、ナポレオンの屋敷を当時と同じように復元すること。
緑の壁が印象的です。リビングルームでしょうか?
ナポレオンは数人の部下と召使ら総勢30人とともにこの家で5年半をすごしました。
奥へ入っていくと寝室があります。胃がんを患っていたナポレオンはこのベッドで息を引き取りました。享年51歳、1821年5月5日のことでした。
亡くなるまでの5年半、口述筆記で回想録を数多く残しています。
この島からは出ることはないと思っていたのでしょうか?それとも・・・。
窓のブラインドには穴が開けられ、外から中は見られませんが、内側から外が見られるようになっています。
ナポレオンはこうして外を眺めていたのでしょう。外には監視役の英国軍の兵士が3,000人もいたと言います。
英国がどれほどナポレオンを恐れていたかが伺えます。
ナポレオンの住まいは現在、観光客に公開されています。今では島の主なアトラクションの一つになっています。訪れる見学者の数は年間6,000人ほど。
「私の祖先がここでナポレオンに会ったんじゃないかと思うんですよ」と男性見学者。
そんな屋敷の上をドローンが飛んでいました。上空からの映像はこんな感じ。
火山岩のごつごつした感じの島に見えていましたが、ここは緑もあってそこそこ過ごしやすそうなところです。
庭にはナポレオンが植えた木が残っていました。
「今日は晴れて暑いですが、いつもは曇りで薄暗く湿気の多いところです。霧もよく出ます」と庭師のジョージさん。
そのジョージさんが島で一番美しいところに連れて行ってくれました。
そこは、ナポレオンのお墓。
とは言っても、中は空っぽ。遺骸は1840年にパリのアンヴァリッドに移されました。
しかしこうして毎日手入れされています。墓石には「ポナパルト」とだけ彫られているとか。
「この辺りはナポレオンが馬で散策を楽しんでいた場所。静かで気に入っていたようです」と庭師。
そして、近くにはバナナの木が実をつけていました。
取材班はこの後、ナポレオンの屋敷で一夜を明かしたようです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、17歳になる娘に、大人になったらどこで暮らしたいか訊いてみた。すると娘は、我が家をアパートにして転売するという。そこで、パパとママはどうなるのかと聞いたら娘が言った。『そりゃ老人ホームに入るのよ』」
VDM (Vie de merde)より
この記事へのコメント
こういうのを絶海の孤島というんでしょうね。こんな島に3000人も兵士がいたと言いますから孤独を感じるというより、うざったい感じだったかもしれません。ナポレオンが死んだと同時に兵士も引き上げたらしいです。落差が激しいですね。