中世の城塞を訪ねて その4 〜ベナック城〜

パリ→スイヤック(Souillac)(列車で約5時間)
スイヤック→城(約37キロ 車で約44分)


城塞は、12世紀初頭、渓谷への敵の侵入を防ぐためにベナックの領主によって建てられました。崖の上に立つ城は難攻不落に見えますが、反対側には台地が広がっているため、防衛の強化はもっぱら台地側に集中し、お堀や銃眼付きの城壁などが二重に作られています。
最も古い部分とされる主塔には、螺旋階段部屋が備えてありました。
そして、1197~1200年まで、ライオンハートと呼ばれたイングランド王リチャード一世がこの城を所有し、この塔に住まいを構えていたこともあります。
百年戦争時には、ドルドーニュ川の向こう岸にあるカステルノー城をイングランド側が占拠し、フランス側がこのベナック城に陣を取り、川をはさんで対峙したそうです。
主塔の両側にそれぞれ居住用の建物が作られています。片方は塔と同時代に建てられ、16世紀に増改築が行われました。もう片方は、14世紀のもので、当時は庭と階段状の平地が隣接していましたが、この平地には17世紀になって続きの間となる建物が作られました。ここにはルネッサンス様式の暖炉を備えた部屋があり、この部屋の向かいには、15世紀に作られた小さな礼拝堂があり、ピエタ、最後の晩餐などを描いたフレスコ画で飾られているそうです。
また、この城では、時の領主の生活を描いた壮麗なタピスリーも見ることができます。
映像は→こちら
この城は、1962年にルシアン・グロッソという人物に買い取られ、大々的に修復が行われますが、その未亡人が映像に登場した女性です。現在も修復は続いており、すべて私費で行われているといいます。
これだけの城を購入し、なおかつ修復の費用も出しているとは、いったいどのような人物だったのか……。
ネットで調べたところ、レクスプレス紙に記事があるのをみつけました。このルシアン・グロッソという人物は、フランスとその植民地でナイトクラブを経営し、ひと財産を作ったらしい。どうもあまりはっきりしない過去を持つ人物のよう。
未亡人が映像の中で、この城に関する古文書がまったく残っていないという理由で、政府の援助が得られないと言っていますが、これだけの城で古文書がないというのには、なんとなく疑問が残ります。
Château de Beynac
24220 Beynac et Casenac
Tel. 33 (0) 5 53 29 50 40
Fax. 33 (0) 5 53 29 89 38
オープン:シーズン中は毎日10:00~18:30
料金:大人 €7.00
子供(5~11歳)€3.00
「今日、寝室に蜘蛛がいると言って妻が叫んでいるから、蜘蛛を始末すると、今度は妻が口をきいてくれない。蜘蛛を殺す、血も涙もない冷たい奴とは口もききたくないそうだ」
この記事へのコメント
はい、ペリゴール=フォアグラ、黒トリュフですね。この高級食材もブログに書きたいです。
向こうの人は歴史のある古い物にこだわりがありますね。銀の食器なんか何世代にもわたって使ったりしてますし。昔は日本も同じようなことをしていたのかもしれません。近代になって他国の文明を吸収するのに夢中になって、自国の歴史の厚みを顧みてこなかったのかもと思ったりします。
でも、足場ないですね。
あのごつごつした岩の上に建っているところがなんとも言えないですね。
足場の代わりに、近くの家の屋根が上がるとか.....。でも真下に入っちゃいますね。
犬も歩けば棒に当たるみたいに沢山ありますね。
そして、お城の魅力に取り憑かれる人もそれなりにいるんだと思います。
Vie de Merdeというサイトがあるんですよ。
http://www.viedemerde.fr/
その日起きた、ちょっとした不幸な出来事を一般の人が書き込むことができます。文頭はいつも同じで、Aujourd'huiから始まります。
読んでいると、いろいろ面白いのがありますよ。
さすがフランスって感じですね。
でも読めない・・・。Merde pour moi !!(笑)
頑張ります!!
難しい文章ではないけど、フランスの日常の常識みたいなのが分からないとちょっと厳しいかもしれませんね。
Bon courage!